【集団ストーカー】みんな違って、みんな良い【3】
相変わらず低品質ではありますが、集団ストーカーについて書いてみようと思います。
私の場合、集団ストーカーの存在については
現状”ありうる”というのが結論です。
しかし「100%あるか」と問われれば、なんとなく事情が違ってきます。
それは集団ストーカーという言葉の認識がはっきり定義されず、
それぞれの思いによって独り歩きしているため、
結果的に、様々な被害報告が集団ストーカーという言葉に紐づけられている
実情が放置されているからです。
むしろそういった事情があるため、集団ストーカーという言葉に対して定義されること
自体が、極めて難しい状態になっていると思っています。
きっと、それぞれの考え方があるのだろうし(もちろん私自身も)思っていますので、
ここでは明言を避けますが、「集団ストーカーの被害者の世界」はそれだけ幅広いものであると認識するのが一番良いのかなと感じます。
という事で私は、
「集団ストーカーという言葉を自分なりに理解し、
自分なりに仮定、そして自分なりに解決と向き合おう」
というのがもっともベターな解決策であると提案したいと思います。
そうすれば、例えばですが他の被害者とつながりをもったとして、
”その人”が自分の被害と内容が180度違っていても、
”その人は、その被害”、”あの人は、あの被害”、そして”私自身は、私の被害”
といった整理を頭の中でしておく、またはメモをとる事で、
ゆくゆく自分の抱えている問題に真正面から向き合える時がきっと来るでしょう。
解決をしたいのであれば上記の気持ちを持ってみてください。
もし解決したいのではない、別の理由が存在しているのであれば
逆に上記の方法はおすすめできません。
なぜなら、集団ストーカーという問題は現実に存在しているのであれば、
それに対する解決策は必ずあると、私は考えている為です。
でもそうは言いつつ、人それぞれ。
「自分の被害を人に押し付けない、例え違っていても無理強いしない。」
これは鉄則です。絶対的なルールだと思います。
「絶対的なルール」だなんて押し付けじゃないかと怒られそうですが、
他人に被害を与えない合法的な周知を第一とすれば、
ご理解いただけるかもしれません。
結局、他人の被害は参考の範疇であって、自分の解決の答えにはなりえません。
だからこそ、色々な被害を参考にさせてもらいつつも、
しかし他人の被害を直接否定したり、相手の精神を傷つけるような真似は
しない方が良いでしょう。
「みんな違って、みんな良い。」
これくらいの気持ちをお奨めします。
そういう気持ちもまた、
集団ストーカー問題を解決に導くための一つのヒントだと思っています。
堺